源九郎義経
(みなもとのくろうよしつね)
和源氏の嫡流であった源義朝の九男。母はその側室の常盤。後に義経の運命を左右することになる源頼朝は母違いの兄である。
源氏の総大将であり兄である頼朝の臣下として、平家を滅亡に追いやった源氏の一大英傑。
義仲討伐、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と連戦連勝、多大な軍功を収める。
しかし、晩年は兄に追われ、三年半に及ぶ逃亡の末、衣川で自害した。

牛若丸
(うしわかまる)
源九郎義経の幼名。幼少の頃は、父の敵である清盛の監視下に置かれる。七つの時、常盤によって京の鞍馬寺に預けられ「遮那王」と名乗った。
僧となるはずであったが、奥州へ向かうため、十六で鞍馬寺を出立。途中、鏡の宿で自ら元服を行い以後、源九郎義経と名乗る。

武蔵坊弁慶
(むさしぼうべんけい)

熊野水軍の長、湛増の子と言われるが出生を正確に記す史書はない。
一説では、母の胎内に18ヶ月おり、産まれた時には髪が肩まであり歯も生えそろっていたと言われる。
五条大橋から衣川の自害まで常に義経に従う。敵軍からは鬼の弁慶と恐れられ義経の忠実な家来として活躍した。
千本狩りや立ち往生、内弁慶の慣用語など、その人物像を伝える言葉は今も多く残る。


(りん)
出生に関しては全く不明だが戦で親をなくして以来、奥州の金商人、吉次に育てられた
と言われている。
幼い頃より武芸を学び吉次と共に京と奥州を行き来する生活を送る。
義経と藤原氏を結びつける役目を担い義経と対面、以後忠実な従者となる。
鍛えられた薙刀術で何度となく義経の危機を救った。

那須与一宗隆
(なすのよいちむねたか)
下野国の那須家十一番目の男児。与一とは通称で十一の意味を持つ。飛ぶ鳥の三羽に二羽は射落とすと評判の高い弓の名手であった。
屋島の合戦において平氏の小船に掲げられた扇の的を見事射抜き両軍より大喝采を浴びる。
この活躍により那須氏の家督と多くの領地を得た。

金売り吉次
(かねうりきちじ)
奥州と京を行き来した金商人。鞍馬寺で修行をしていた義経を奥州へ送り届けた人物として知られる。
幅広い人脈を持ち、また、大富豪であったともいわれるがその素性は謎に包まれている。
全国各地に吉次縁の土地が存在し、今なお足を運ぶ人が絶えない。

静御前
(しずかごぜん)
母は磯禅師、共に舞の名手。義経を愛し、また義経が愛した女性。
その舞は後白河院より「日本一」の宣旨を受けたとも言われ義経もこれに魅了された。
常に義経の傍らに身を置くが都落ちの際、大和国吉野で捕らわれ鎌倉へ護送される。
その後、頼朝の御前で義経を慕う気持ちを歌に込め舞を舞う。

伊勢三郎義盛
(いせのさぶろうよしもり)
出自は伊勢国や上野国とも言われ山賊出身という説もある。鞍馬を出立し奥州へ向かう義経と上野国で偶然出会う。義経郎党に加わってからは筆頭として活躍、多くの戦功をあげる
壇ノ浦で平家の重臣を裏切らせ義経を勝利に導いたのも義盛の功労によるものである。

源頼朝
(みなもとのよりとも)
後の鎌倉幕府初代将軍。源義朝の三男であるが源氏の家督を継ぐ嫡子として育つ。
平治の乱の後、伊豆へ配流となり罪人として生活を送る。
挙兵以降は鎌倉を拠点とし義経らを従え平家を滅亡させた。
頼朝を兄として接する義経と義経を御家人として見る頼朝の考えの違いが二人の運命を大きく左右する。

平清盛
(たいらのきよもり)
平治の乱で源氏に勝利、義経の父・義朝はこの時死亡する。その後太政大臣にまで上り詰め武家政権へ大きく時代を切り開いた。
平氏の世を確立させるが、貴族化し、権力をかざすその政権に対し各地で反対勢力の蜂起を招く。
全国で反平氏の挙兵が相次ぐ中病により死去する

常陸坊海尊
(ひたちぼうかいそん)
元は三井寺の僧兵。寺は平家により焼き討ちされる。兄・頼朝と不和になった義経に同道し、弁慶と二人で追っ手を撃退した。
衣川での難を逃れその後、数百年生きたともいわれる。
出自・系譜はほとんどが謎に包まれている伝説に近い人物である。

佐藤三郎継信
(さとうさぶろうぐのぶ)
元は藤原秀衡に仕える武士。忠信の実兄。義経が奥州を去るとき藤原秀衡の命により従軍、以後、常に義経と戦い数々の戦功をあげる。
屋島の合戦では、義経の身代わりとなり敵軍の矢をその身に受けた。
後に、義経四天王の一人ともいわれる。

佐藤四郎忠信
(さとうしろうただのぶ)
兄・継信と同じく、元は藤原氏に仕える武士。兄と共に、奥州から義経に従軍。
敵の襲撃をいち早く察知するなどし、義経の腹心的な存在となる。
吉野の山中では、自らを義経と称し僧兵覚範を撃退、義経を無事に逃がす活躍を見せる。
忠信もまた、義経四天王の一人に名を連ねる。

覚 範
(かくはん)
妙覚寺の僧。比叡山の横川で修行したため、横川覚範といわれる。頼朝と不和になった義経潜伏の報を聞き、恩賞に与るため吉野山中を探索。
義経郎等を追い詰めるが、佐藤忠信と激闘の末、討死。
「義経千本桜」にもその名を残す。

木曾義仲
(きそのよしなか)
義経・頼朝の従兄弟。旭将軍と称えられた猛将。父義賢が、義朝の長男、義平に討たれ
木曽へ逃れ定住する。
以仁王の令旨により挙兵、北陸の平氏を制圧し入京するが、乱暴狼藉が過ぎ、法皇と不和になる。
その後、義仲追討の院宣を受けた頼朝と対峙、宇治川の合戦で義経軍に討たれる

巴御前
(ともえごぜん)
美貌で知られる英傑。幼少より義仲に仕え、共に成長する。また、義仲四天王として知られる、今井兼平・樋口兼光の妹。
宇治川の合戦では、義仲と共に死すことを望むが巴の身を案じる義仲はこれを拒否。
悲嘆に暮れた巴は、一人落ち延びた。



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