時は平安時代末期。
律令制により、国の管理された土地制度が崩壊をはじめ、
土地の豪族はその勢力を拡大にするため、武装を始めた。

武士のおこりである

豪族達は乱世を生き抜くため終結し、武士団を形成した。
その武士団をまとめていたのが
桓武天皇の血脈、平清盛を棟梁に頂く平氏。
清和天皇から続く、源義朝を棟梁に頂く源氏。

両雄並び立たず、平氏と源氏は次第に対立を深め、
ついに1159年、平氏の乱において、源義朝は命を落とす。

戦いに勝った平氏は専横の限りを尽くし、民も、貴族も、
他の武士団も不遇の時を過ごす時代が訪れた。
「平氏にあらざれば人にあらず」とは、このころの平氏の言葉である。

戦いに破れた源氏の一族も冷遇され、名を伏せて暮らす者も少なくなかった。
時は過ぎ、 1174年 京都の鞍馬寺。

僧として育てられた少年、牛若丸は、奥州から来た商人・吉次に、
自分が源氏の嫡流であることを知らされる。
牛若丸は僧としての生活を捨て、鞍馬寺を出立、奥州平泉に向かう。

天下無双の軍略家として称えられる、英雄源義経の立志の時であった。



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